思いつき人生

生きるとは何か?をつらつらと主観を踏まえて書きなぐる暴力的ブログ。

「自分とは何ぞや?」

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【自分とはなんぞや?】

 

よく自分自身とは何だろうって思うことがある。

 

自信なんて全然ないし、他者に誇れるようなものもないし、何かを成し遂げたわけでもない。

 

ただ僕が思うのは「自分が思っている世界」と「他人が見ている自分の世界」というものに乖離があると感じる。

ジョハリの窓

心理学でジョハリの窓というものがあるけれども、「自分自身が知っている自分」と「相手が知っている自分」これを開放領域と言う。そして「相手が知っている自分」だけれども「自分自身が知らない」ことを盲点領域と言う。

開放領域の拡大

具体的にエピソードを出すと、中学校の修学旅行でなぜかくじに当たってしまってカラオケを歌うことになった。それがスピッツ空も飛べるはずっていう歌だったんだけれどもう思春期の私にしたら恥ずかしくて、結局顔真っ赤にしてほとんど歌えなかった。

 

そして高校に入って中学校一緒だった女の子が彼女になって、「自分を好きになってくれた理由って何なの」って聞いたら「修学旅行の時恥ずかしそうに歌ってた姿がすごくいい人だなぁと思って好きになった」って言ってくれた。自分自身のトラウマだったことが他の人から見たら素敵に思ったり長所だったり、そういったこともあるんだなぁという経験があった。自分が見ている世界だけが世界の全てではないんだな、という風に感じた。

 

ただ、社会人であるからにはやはり望ましい行動だったり振る舞いだったり、というのも大事だからある意味「作ってる自分」も必要なのかなとも思うし、そこで限りなく開放領域の自分を出せるような環境である、そういった職場はとても幸せなんじゃないかなと思う。

自分を知る職場環境

また、自分の知らない自分を気付かせてくれる盲点領域を教えてくれるような職場というのもある意味幸せなんじゃないかな、という風に思う。自分の知らない自分を教えてもらうということは自分自身の「視野を広げる」そういった経験にもなりうる。決してそのネガティブなフィードバックだけじゃなくて、「あなたってこういうとこもあるよね」というようなプラスのポジティブなフィードバックをもらうっていうことが大切である。

経験から自身を知る

あとひとつ、これは僕も課題なんだけれども実際に頭で考えてるだけじゃなくて「体を動かして行動してみてそれでまた分かる事」っていうのが あると思う。そこに不安だったり恐怖だったりがあってなかなか一歩踏み出せないというところが僕も多々あるんだけれども、「自分自身を知る」っていうことは「経験をする」ことでより深く知ることができるとそういう風にも思っている。そういった意味では行動してその結果自分がどう思うか、どう感じるか、どう振る舞うか、そういったところも重要なんじゃないかなと思います。

 

いろんな自己分析方法があるけれども自分自身を大切にして自分自身の感覚のアンテナを張って、自分ってこういうとこもあるんだなぁとかここが苦手なんだとか、そういった自分自身を大切にする発見が大切だと思う。それで自分を知っていくことで自分が楽しい感情だったり幸せな感情だったり、自分自身の価値っていうものに気づけたり、そういった発見に繋がるかなという風に思います。